2012年から2018年まで、メキシコへ行く度にアレハンドロ・ロドリゲスさんの工房へ訪れた回数は、30回近くになるかと思います。
メキシコシティから2時間くらいバスに乗り、プエブラ市へ着いたら、タクシーで10分くらいの場所にあるボスケ・デ・サンエステバンという住宅街。
何故そんなに行ってしまったのかというと、マスクが欲しかったと言うより、目の前でアレハンドロさんが作る所を生で見たかったという理由でした。
縁があってアレハンドロさんと初めて出逢ったのは2000年、SOLUCHAの前身であるSOLLUNAとして大阪で海外プロレスグッズショップを運営していた頃です。
その頃はホテルまでマスクを納品しに来てくれていたので、1度もアレハンドロさんが作っている場面を見た事がなかったのです。
工房近くのホテルに1〜2泊して、マスクが1〜2枚できたらいいなというスローペースでした。
決して作るのが遅いという訳ではなく、それだけ真剣に作ってくれたという作品なのです。
僕がアメリカで何年もかけて見つけていた旧ラメを持ち込み、工房に残っていた昔の型紙を使って細部の材料に至るまで可能な限り再現してもらうというのがテーマ。
ipadに入った写真資料を何度も何度も確認しながら模様を貼り付け、昔の糸やテープ類まで引き出しの奥から探して作るとなると、午後から深夜までかかっても1枚がやっとでした。きっと旧ラメやゴムラメで作るのは、金や銀ラメ以外となると最後になると思われていたのでしょう。
まず、起きてから工房へ行くと、昼ごはんから始まります。アレハンドロさん行きつけの近所のネイティブなレストランへ連れて行ってくれました。
ガチなメキシコ料理があまり得意じゃない僕は、材料を持って行ってカレーやお好み焼きをキッチンを借りて振舞うこともありました。
僕の息子と同い年で、今年24歳のゴンザロ、そのお姉ちゃんのステラとアレハンドロさんの奥さん。みんなとランチから夜食まで一緒にしながら過ごした心地良い時間は忘れられません。
中学生の頃に初めて見た「プエブラ製」と呼ばれたマスカラスやカネックの本物のマスク。
その時は誰が作っているのか、何が本物なのかよくわからなかったけれど、深く心に響いた衝撃が残っています。
祖母に買ってもらったOJISAN製のザ・コブラしか持っていなかった僕にとって、同じマスクでも全くの別物に思えた記憶が蘇ります。
この10年くらいで、ようやく自分のマスクの作風が固まってきたと感じた僕にとって、原点とも言えるアレハンドロさんが作るマスクの工程を見ることは、謎解きのようで答え合わせのようでもあり、新たな発見をもたらしてくれた時間でした。
持ち帰った完成品は、ずっと収納していただけで、ほとんど見返す事もありませんでしたが、今回31枚を改めて見ると1つ1つに思い出がたくさん詰まっています。
今まで、これらのマスクを譲って欲しいと熱心に何度も言って頂いた方も大勢いらっしゃいましたが、お断りしておりました。
ただ、いつかはお譲りすると決めていましたので、SOLUCHA.comを通して、この機会に全て放出する事にいたしました。
1960年代から1970年代後半にかけてアメリカで製造されていたストレッチLurexラメ(通称:旧ラメ、旧ゴムラメ)。舞台やロデオショーなどの衣装で、その時代に流行していたメタリック素材です。
なかなか金、銀以外を見つけるのが困難で、ようやくビンテージ古着やデッドストック生地があったとしても、マスク1枚分の生地で最低でも4〜7万くらいのコストがかかるような、マスクマーケット以外でも人気の貴重な生地素材なのです。
今回のマスクには、当時の現物は行方不明になっていたり、現存していても1枚だけという入手は不可能なレベルのデザインも含まれております。
これほど有名なサメ口であっても当時の生地を使ったプエブラ製と呼べる作品は5枚もありません。
FUJIに至っては使用された1枚のみの現存です。
これらは製作時期を感じさせない「プエブラ製」の素晴らしさが再確認できるマスク達です。
いわゆる復刻版とは見比べて頂けるほど、違いを感じてもらえると確信しています。
もし探し求めていたデザインがございましたら、ご購入後どうか大切にしてあげてください。
SOLUCHA.com 林 雅弘