解説:ドクトル・ルチャ
世界ウェルター級タイトルの歴史は古く、初見は1894年に米国セントルイスのバーニー・マクファードン。20世紀に入ると、米国内で移動を続け、1918年10月7日にオハイオ州コロンバスで日本人レスラー、マティ・マツダが獲得する。マツダは4度、このタイトルを手にするが、その一番のライバルとなったのがジャック・レイノルズ。彼は1919年から1935年の間に計8度も同王座に就いた猛者だった。
その1935年にNBA(ナショナル・ボクシング・アソシエーション=現WBAの前身)のプロレス部門として独立した旧NWA(ナショナル・レスリング・アソシエーション)がヘビー級以下、各階級の世界タイトルを認定&管理するようになる。しかし、アメリカは大恐慌の時代に突入してプロレスビジネスにも影響が出る。そこで生き残ったのがヘビー級の選手たちで、軽いウェイトの選手たちは職を失い、メキシコへと流れて行ったものもいたという。
そんな中、世界ウェルター級タイトルは米国内での維持が困難になったことで、旧NWAのハリー・コロネル・ランドリー会長はメキシコのEMLL(エンプレッサ・メヒカーナ・デ・ルチャ・リブレ)のサルバドール・ルテロ・ゴンサレスに管理を依頼する。それが1946年のことである。それよりも7年前に世界ミドル級王座も管理母体になったという前例があったので話はスムーズに進んだ。
1946年3月15日、旧アレナ・メヒコでの王座決定トーナメント決勝においてエル・サントがブルガリアのピート・パンコフを破って新チャンピオンになる。以後、このタイトルはメキシコ門外不出の宝物となるのである。この時にEMLLご用達の宝石加工職人マヌエル・サバラ氏によって作られた初代チャンピオンベルトは30年間使用されることになる。
ここまでの歴代チャンピオンたちが初代のベルトが使用していた。しかし、時代は新しいベルトを必要としていた。1973年7月20日のヒューストンでNWAは世界ヘビー級タイトルをマヌエル・サバラ製の5つの加盟国の国旗がデザテンされた新ベルトにチェンジした(同日、王者はハーリー・レイスからジャック・ブリスコに移動)。それに従ってメキシコでも1974年10月31日のトルーカ大会からミドル級王座を同型の“レイス・モデル”などとも呼ばれる「国旗ベルト」にチェンジ(王者はアニバル)。1959年からミドル級、ウェルター級に続きEMLLが管理しているNWA世界ライトヘビー級タイトルも、ドクトル・ワグナー政権下の1975年3月7日のアレナ・メヒコで「国旗ベルト」にスウィッチしていた。つまりウェルター級のベルト交換時期も時間の問題だったといえる。
王者フィッシュマンが旧ベルトから新ベルトにチェンジしたのは1976年6月11日のアレナ・メヒコでのマノ・ネグラとの2度目の防衛戦から。これによりEMLLが誇る3大世界タイトルは全て「国旗ベルト」に統一されたことになる。
以下、NWA世界ウェルター級の「初代国旗ベルト」(通算で2代目)が使用された防衛戦。第15代王者フィッシュマン(数字は防衛回数)
第16代王者マノ・ネグラ
以後、同ベルトをマノ・ネグラ本人が保管し続け、次の王者アメリコ・ロッカより「2代目国旗ベルト」が使用されたものと推測される。本品が欠損等もなく完品の状態なのは、使用された後は大切にフレームに入れられて35年以上も保管されてきたからであろう。